[radio][Music]なぜ自分のiTunesに入ってない曲に人は涙するのか

先週放送の爆笑問題カーボーイを聴く。

震災後の放送ということでこの日、スタッフの被災者やその家族をいたわるメッセージとともにリクエスト曲が紹介されていった。perfumeの「ドリームファイター」とか、槙原敬之の曲などがあって、最後に矢野顕子の「ひとつだけ」という歌がかかった。

矢野顕子の曲などさて、自分のiPhoneに何曲入ってるっけ?というくらいの人なのだが、多分、そのくらいの人でも♪ねぇおーねがいー、のフレーズの、といえば「ああ、あの曲」と思うに違いない。

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これが、ふと涙腺にきた。仕事で移動中のことなので涙は流さなかったが、ぐっときた。

いったい、自分のiTunesにも入っていない流れてくる曲に反応、感銘してしまうのはなんという現象と言うのだろう。

あの震災からこっち、流れてくる情報には変化があった。「ラジオはいいよねー」なんて声も聞こえてくるし、無論それを否定するつもりもはなはだないのだが、流れてくる曲にも、変化が起きている。

言わばプロモーション目的の楽曲が流れなくなっているということ。そして、ラジオにおいてもそうした「作り手主導」の歌がたくさん流れていたということ。

今、震災から三週がたとうとしているし、日常は被災地から離れた東京では(原発の問題はありながらも)すぐそこまでやってきている感じだ。けれど、コンテンツとしての楽曲は受けての側の気持ちが入っているときにこそ、人に届いているのではないか。今週ラジオ最後の巨人とも評される伊集院光は雑学王の中で「何かやりたい」が曲のリクエストという笑い話をしていたのだが、まさに歌は聞いたものが聞いたなりに自分の中にできあがったものを人にも共有してもらいたいというやりとりにこそ、涙するのではないだろうか。

死んだぱぱこせるは、よく贈る言葉として「天に星 地に花 人に愛」と色紙に書いたりしていたが(武者小路実篤の名言。ゲーテが原典?)、俺はそれに「唇に歌」と添えてみよう。

さあ、新年度だ、「会社いきたくねーー」という日がくるまで、もう少し頑張ろうか。

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